老々介護・食養生・物語療法で家族を支える実践ブログ
母が40歳を過ぎてから始めた“人生の逆転劇”
私は大学卒業後、家電メーカーに就職しました。 その理由は、母の強い勧めがあったからです。
母は40歳を過ぎて、 「子どもが手を離れたから働きに出る」 と自分で決め、職業安定所へ行きました。
しかし、年齢の壁で仕事は見つかりませんでした。
そんなとき、 近所の電信柱に貼られた“掃除婦募集”の紙 が母の人生を変えました。
近所の工場のトイレ掃除。 そこから母の第二の人生が始まりました。
掃除婦から売店の売り子へ──そして家電メーカーへ
母の働きぶりを見ていたのは、 工場の社員食堂の売店の主人でした。
「あなた、うちの売店で働かないか」
そう声をかけてもらい、 母は売店の売り子になりました。
その工場は家電メーカーの下請け部品会社。 家電メーカーの社員が売店に来るたびに、 母の働きぶりを見て気に入り、こう言いました。
「テレビ工場のパートに来ませんか?」
母は42歳で家電メーカーに入社しました。
ブラウン管の“はんだ付け職人”として定年まで働いた母
テレビのブラウン管のはんだ付けは、 高度な技能が必要な仕事でした。
母は努力して技術を身につけ、 若いパート女性のリーダーとなり、 技能を教える立場になりました。
そして60歳の定年まで勤め上げました。
母はよく言っていました。
「あの会社は、パートにも研修をしてくれた。 幸之助さんの会社は、人を育てる会社だよ」
幸之助夫人との面会──母の人生を変えた“たった一言”
母が48歳のとき、 幸之助さんの奥様が工場視察に来られました。
母はパート代表として面会し、 そのとき奥様からこう言われたそうです。
「ライン作業は疲労が激しいから、 晩御飯は家族の誰かに作ってもらいなさい」
母は感激して家に帰り、 父にその言葉を伝えました。
父の“即断”──夕食はお弁当にする
父はその話を聞くなり、こう言いました。
「それは天の声だ。 今日から夕飯はお弁当に決めろ」
そして続けました。
「スーパーの弁当ではダメだ。 長く続けてこそ漢方薬と同じ効果がある。 ワタミ宅食を年間契約して家族で食べる。 それで身体を守るんだ」
父は即断し、 家族全員の夕食をワタミ宅食に決めました。
この決断が、家族の“長寿の運命”を決めた
103歳の母は今でも言います。
「あのときの父さんの決断が正しかった」
- 流れ作業の疲労
- 買い物や調理の負担
- 栄養の偏り
- 食事の準備によるストレス
これらをすべて避けられたからこそ、 母は103歳の今も元気なのだと。
職場の懇談会でも、 「夕食をお弁当にしたのは私だけだった」 と母は誇らしげに話していたそうです。
私は今、心から思います。
父の決断は、家族の運命を変えた。 そして母の長寿を支えた。
この記事を読んでくださった方へ
もしあなたが、 家族の食事や介護で悩んでいるなら、 母と父の物語が少しでも心の支えになれば嬉しく思います。
この記事が、あなたの介護の不安を少しでも軽くし、 あなた自身の心の支えになれば嬉しく思います。
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