戦地で80人中ただ一人生き残った父──100歳を超えても屋根に登り続けた“生きる力”とワタミ宅食の物語

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戦地で80人中ただ一人生き残った父の物語

私の父は、戦争で何度も死にかけました。 銃弾が飛び交う戦場で命を落としかけ、 そして最後は、現地で流行していた 天然痘 に感染し、 息も絶え絶えの状態になったそうです。

父の部隊は80人。 その中で 生きて帰れたのは父ただ一人 でした。

当時の軍医が、父にこう言ったといいます。

「私の分まで生きてくれ。  あなたは内地に戻れるようにしてあげるから」

父は意識が遠のく中で、その言葉だけははっきり覚えていたそうです。

軍医が語った“生死を分けた理由”

軍医の診断はこうでした。

  • 毎日のスコールで身体が冷え切る
  • 土塁を掘ってヤシの木陰で寝る生活
  • 体力が極端に落ちる
  • その状態で天然痘に感染した

父はその説明を聞き、 「自分だけが生き残ってしまった」 という強烈な罪悪感を抱え続けました。

酒を飲むと、父はよくこう言いました。

「戦友に申し訳ない…」

私はその言葉を何度も聞きました。

戦後、父が命をかけて守った“家”

父は50代で、なけなしの貯金をはたいて、 小さな建売住宅を現金一括で買いました。 当時は住宅ローンなどない時代です。

しかし、10年もしないうちに雨漏りが始まりました。

父は言いました。

「この家は、俺が命をつないで帰ってきて、やっと手に入れた家だ」

その執着はすさまじく、 中古の屋根材を買い、 毎日のように屋根に登って点検し、 補修し、塗装し、 100歳を超えてもはしごをかけて屋根に登っていました。

私はいつもそばで手伝いました。

その結果、 父は大工よりも屋根に詳しくなっていました。

父が一番楽しみにしていた“夕食の時間”

父が何よりも楽しみにしていたのは、 屋根の修理を終え、汗だくの身体を風呂で洗い流し、 夕食に ワタミ宅食 を食べる時間でした。

安い一合の酒をちびちび飲みながら、 ワタミ宅食をおかずにして、 毎回こう言いました。

「おいしいな!!」

その言葉が出ると、 家族は安心しました。

「今日は機嫌がいい」 と、すぐに分かるからです。

父は10年以上、毎日ワタミ宅食を食べ続けました。

亡くなる1週間前まで屋根に登っていた父

父は亡くなる1週間前まで、 いつものように屋根に登っていました。

そしてある日、 突然の心臓発作で倒れ、 救急車で運ばれ、 病院に着いたときには心肺停止でした。

今思えば、 “ピンピンコロリ” と言える最期でした。

父の人生は、ワタミ宅食とともにあった

父は戦争で死にかけ、 戦友の分まで生きると誓い、 家を守り抜き、 100歳を超えても屋根に登り、 そして毎日ワタミ宅食を食べて「おいしいな」と言い続けました。

私は思います。

父は幸せな人生だった。 ワタミ宅食を10年も食べ続けられたことも、その一部だった。

息子として、 誇らしい気持ちでいっぱいです。

この記事を読んでくださった方へ

もしあなたが、 家族の介護や老後の不安で悩んでいるなら、 父の物語が少しでも心の支えになれば嬉しく思います。

この記事が、あなたの介護の不安を少しでも軽くし、 あなた自身の心の支えになれば嬉しく思います。

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